速習モノイダル圏論
はじめに
「モノイダル圏」の概念は、数学や物理学など幅広い分野で重要な構造を記述するために考案された。通常の圏論では、対象と射(写像など)を組み合わせて「関係」を表現するが、モノイダル圏はこれに加えて、2つの対象を「テンソル積」と呼ばれる新たな対象に結合する操作を導入する。この操作は、対象間に追加の構造を与えるため、複雑なシステムや多層的な関係をより自然にモデル化できるようにする。
たとえば、集合の圏やベクトル空間の圏など、数学的対象を扱う多くの場面では、単一の要素間の関係に加えて、要素の組み合わせや「複合性」に関する情報が重要になる。モノイダル圏は、こうした組み合わせ操作を圏論の枠組みで扱うために設計されている。ベクトル空間におけるテンソル積や位相空間における直積空間の構造は、モノイダル圏の枠組みを通じて統一的に理解され、数学全般で見られる様々な「組み合わせの理論」を圏論的に捉えることが可能になる。
さらに、モノイダル圏は量子情報理論やホモトピー理論など、現代の数学と物理学の多くの分野で応用されている。これらの分野では、複雑なシステムの構成要素が相互に結びつき、その間に非自明な相互作用が存在する。モノイダル圏は、こうしたシステムの「全体としての構造」を取り扱うのに適した枠組みである。
第1章では、モノイダル圏の概念に進む。モノイダル圏とは、通常の圏に加え、「テンソル積」と「単位対象」と呼ばれる結合的な操作を持つ圏である。この章では、モノイダル圏の定義を学び、その上でモノイド対象と余モノイド対象についても考察する。モノイダル圏は、対象同士の結合や生成・分解の関係性を考える上で重要な構造であり、抽象代数学や量子力学をはじめとする多様な分野で応用される。
第2章では、モノイダル圏にさらに付加的な構造を導入する。特に、組紐構造、対称性、双対性、閉性、跡付(trace)といった概念を取り上げる。これにより、テンソル積の順序や対称性、対象や射の空間的・循環的な性質を記述できるようになる。こうした構造により、モノイダル圏の表現力は一層強化され、様々な数学的現象を整理し説明するための枠組みが豊かになる。
モノイダル圏の基本事項
定義
圏 M 上の モノイダル構造 (monoidal structure) とは、以下のデータからなる:
- テンソル積 (tensor product) と呼ばれる函手 ⊗:M×M→M;
- 単位対象 (unit object) あるいは テンソル単位 (tensor unit) と呼ばれる対象 I∈ObM
- 結合子 (associator) と呼ばれる自然同型 α:⊗∘(⊗×idM)⇒⊗∘(idM×⊗):M×M×M→M;
- 左単位子 (left unitor) と呼ばれる自然同型 λ:IM⊗idM⇒idM;
- 右単位子 (right unitor) と呼ばれる自然同型 ρ:idM⊗IM⇒idM;
a,b,c∈M による (a,b,c) -成分 αabc は M の射 (a⊗b)⊗c→a⊗(b⊗c) である。
これらのデータは、以下の公理を満たす:
これらモノイダル構造に対して M を 下部圏 (underlying category) と呼び、下部圏とモノイダル構造の組 (M,⊗,I,α,λ,ρ) を モノイダル圏 (monoidal category) と呼ぶ。
特に、結合子、左単位子および右単位子が恒等なモノイダル圏を 厳格モノイダル圏 (strict monoidal category) と呼ぶ。
モノイダル圏 M に対して、x⊗revy:=y⊗x により、積を反転させたモノイダル圏 Mrev が定義できる。これを 反転モノイダル圏 (reverse monoidal category) と呼ぶ。
以下はモノイダル圏の例である。
| 圏 |
テンソル積 |
単位対象 |
| モノイドを離散圏とみなしたもの |
積 |
単位元 |
| 最大元を持つ交わり半束 |
交わり |
最大元 |
| 集合の圏 Set |
直積 |
単集合 |
| 位相空間の圏 Top |
直積 |
単集合 |
| 可換環 R 上の加群の圏 R-Mod |
加群のテンソル積 |
R |
| 体 k 上の線形空間の圏 Vectk |
テンソル積 |
k |
| Abel群の圏 Abel |
Abel群のテンソル積 |
Z |
| 圏 C 上の自己函手のなす圏 EndC |
函手の合成 |
idC |
| 点付き位相空間の圏 Top∗ |
スマッシュ積 |
点付き0-次元球面 |
| 有限積を持つ圏 |
積 |
終対象 |
任意の有限個の対象の積が存在するような圏を カルテシアン圏 (cartesian category) という。特に、カルテシアン圏 C であって各対象 A∈C に対して函手 −×A:C→C が右随伴 [A,−]:C→C を持つような圏を カルテシアン閉圏 (cartesian closed category) という。
モノイダル函手とモノイダル自然変換
モノイダル圏 M,N の間の ラックスモノイダル函手 (lax monoidal functor)、あるいは単に モノイダル函手 (monoidal functor) とは、以下のデータからなる:
- 下部圏の間の函手 T:M0→N0;
- 劣加法手 (subadditator) と呼ばれる自然変換 η:T(−)⊗T(−)⇒T(−⊗−);
- 単位手 (unitor) と呼ばれる N の射 μ:IN→T(IM);
これらのデータは、以下の公理を満たす:
特に、μ が同型なとき 正規モノイダル函手 (normal monoidal functor) といい、η,μ がともに同型なとき 強モノイダル函手 (strong monoidal functor)、η,μ がともに恒等なとき 厳格モノイダル函手 (strict monoidal functor) という。
ラックスモノイダル函手 F,G:M→N の間の自然変換 σ:F⇒G が以下の可換図式をそれぞれ満たすとき、モノイダル自然変換 (monoidal natural transformation) と呼ぶ:
モノイダル圏 M,N に対して、M から N へのラックスモノイダル函手とその間のモノイダル自然変換からなる圏を Mon(M,N) とすると、Mon(M,N) は、点ごとの積によりモノイダル圏となる。
モノイダル圏と厳格モノイダル圏の間には次のような関係がある。
- Proposition.
- 任意のモノイダル圏に対して、モノイダル圏同値であるような厳格モノイダル圏が存在し、その対応は自然である。
次の命題の意味で、モノイダル圏はすべて厳格であると仮定してよい と言われることがある。
モノイド対象・余モノイド対象
モノイダル圏 M における モノイド対象 (monoid object) とは、以下のデータからなる:
- 対象 m∈M;
- 乗法 (multiplication) と呼ばれる M の射 μ:m⊗m→m;
- 単位 (unit) と呼ばれる M の射 η:I→m;
また、これらのデータは以下の公理を満たす:
また、Mop におけるモノイド対象を M における 余モノイド対象 (comonoid object) と呼ぶ。
モノイダル圏 M におけるモノイド対象 m,n に対して、m から n への\textbf{モノイド射}(\textbf{monoid morphism}) f とは、M における射 f:m→n であって、以下の図式がそれぞれ可換となる:
モノイド対象の例として、次が挙げられる:
- 集合の圏と集合の直積によるモノイダル圏 (Set,×,1) におけるモノイド対象は、通常の意味でのモノイドである。
- 位相空間の圏と空間の直積によるモノイダル圏 (Top,×,1) におけるモノイド対象は、位相モノイドになる。
- 可換環 R に対して、R -加群とその間の加群準同型のなす圏と加群のテンソル積によるモノイダル圏 (R-Mod,⊗R,R) におけるモノイド対象は、R -多元環となる。特に R=Z のとき R-Mod はアーベル群のなす圏 Ab となり、そのモノイド対象は環となる。
- 任意の圏 C に対し、その自己函手の圏 EndC は函手の合成および恒等函手の誘導するモノイド構造を持つ。このモノイド圏 EndC におけるモノイド対象は C のモナドである。
モノイダル圏 M のモノイド対象とその間のモノイド射は圏を構成する。また、M の余モノイド対象とその間のモノイド射も圏を構成する。
モノイド対象 m=(m,μ,η) に対して、m 上の左加群とは対象 n∈M と射 λ:m⊗n→n の組 (n,λ) であって、次の2つの図式がそれぞれ可換となる:
他方、Mrev における m 上の左加群を m 上の右加群という。
モナド
圏 C 上の モナド (monad) とは、以下のデータからなる:
- 函手 T:C→C;
- 自然変換 η:idC⇒T;
- 自然変換 μ:T2⇒T;
これらのデータは、以下の図式をそれぞれ可換にする:
η 、μ はモナド (T,η,μ) の単位、合成と呼ばれる。
自己函手のなすモノイダル圏 EndC におけるモノイド対象は圏 C のモナドとなる。
双対として、モノイダル圏 EndC における余モノイド対象を圏 C の 余モナド (comonad) と呼ぶ。
随伴函手はモナドを伴う。
すなわち、随伴 F⊣G:C→D に対して、函手 GF:C→C はモナドになる。ここで、モナドの単位射 ηX:X→GF(X) は随伴の単位射とし、モナドの合成射 μX:GFGF(X)→GF(X) は随伴の余単位射 εY:FG(Y)→Y を用いて GεF(X) で定まる。
また、全てのモナドは随伴函手の合成として表すことができる。圏 C 上のモナド (T,η,μ) に伴う特別な随伴として、Eilenberg-Moore圏 CT とKleisli圏 CT への随伴が知られている。
Eilenberg-Moore圏
圏 C 上のモナド (T,η,μ) に対して、C の対象 A と射 a:TA→A の組を T -代数という。また、T -代数 (A,a) , (B,b) の間の射 f:(A,a)→(B,b) を、b∘Tf=f∘a を満たす C の射 f:A→B で定める。
T による Eilenberg-Moore圏 (Eilenberg-Moore category) CT とは、T -代数とその間の射からなる圏である。
Eilenberg-Moore圏 CT に対して、随伴となる函手 FT:C→CT と UT:CT→C は次のように定められる:
- FT(A)=(TA,μA) , f∈C(A,B) に対して FT(f)=Tf ,
- UT(A,a)=A , f∈CT((A,a),(B,b)) に対して UT(f)=f
定義から UT∘FT=T なため、T は随伴 FT⊣UT に伴うモナドである。
Eilenberg-Moore圏とそれに伴う随伴は、任意の随伴 F⊣G:C→D に対して L∘F=FT かつ UT∘L=G を満たす函手 L:D→CT がただ1つ存在するという性質を持つ。
Kleisli圏
まず、Kleisliトリプルを定義する。
圏 C 上の Kleisliトリプル (Kleisli triple) とは、函手 T:C→C 、自然変換 η:idC→T 、拡張演算子 (−)∗:C(A,TB)→C(TA,TB) の組 (T,η,(−)∗) であって、以下の条件を満たす:
- ηA∗=idTA ,
- f:A→TB に対して f∗∘ηA=f ,
- f:A→TB , g:B→TC に対して g∗∘f∗=(g∗∘f)∗
Kleisli圏は、このKleisliトリプルを用いて定義される。
圏 C 上のKleisliトリプル (T,η,(−)∗) に対して、Kleisli圏 (Kleisli category) CT とは以下のデータからなる圏である:
- CT の対象は、C の対象である,
- CT の対象 A,B に対して CT(A,B)=C(A,TB) である,
- CT の射 f∈CT(A,B) , g∈CT(B,C) に対して合成 g⋅f は、C における合成 g∗∘f である
C 上のモナド (T,η,μ) に対して、拡張演算子 (−)∗ を C の射 f:A→TB に対して f∗=μB∘Tf とすることで、Kleisliトリプル (T,η,(−)∗) が定まる。
この対応により、C 上のモナドを与えることと C 上のKleisliトリプルを与えることは同値となる。
Kleisli圏 CT に対して、随伴となる函手 FT:C→CT と UT:CT→C は次のように定められる:
- FT(A)=A , f∈C(A,B) に対して FT(f)=ηB∘f ,
- UT(A)=TA , f∈CT(A,B) に対して UT(f)=μB∘Tf
定義から UT∘FT=T なため、T は随伴 FT⊣UT に伴うモナドである。
Kleisli圏とそれに伴う随伴は、任意の随伴 F⊣G:C→D に対して K∘FT=F かつ G∘K=UT を満たす函手 K:CT→D がただ1つ存在するという性質を持つ。
モノイダル圏の付加構造
組紐と対称性
M がモノイダル圏とする
M 上の 組紐 (braiding) とは、以下の図式を満たすような自然同型 β={βxy:x⊗y→y⊗x}x,y∈M のことである:
すなわち、組紐とは M から Mrev への強モノイダル函手であって、対象の間の対応が恒等写像となっている。
組紐を備えたモノイダル圏を 組紐付きモノイダル圏 (braided monoidal category) という。
対称性
組紐付きモノイダル圏 M の組紐 β が任意の x,y∈M に対して βyx∘βxy=idx⊗y を満たす
とき、M を 対称モノイダル圏 (symmetric monoidal category) という。
双対性
モノイダル圏 M の対象 x について、x の 右双対 (right dual) とは、対象 y∈M と2つの射 ev:y⊗x→I 、coev:I→x⊗y の組 (y,ev,coev) であって、以下の三角図式を満たすときいう:
このとき、y を x の右双対対象 (right dual object of x) といい、ev 、coev をそれぞれ 評価射 (evaluation morphism) 、余評価射 (coevaluation morphism) という。
右双対をもつような対象のことを 右双対化可能対象 (right dualizable object) 、あるいは 右剛対象 (right rigid object) という。
右双対の(圏論的)双対概念を 左双対 (left dual) という。
右剛対象(resp. 左剛対象) x∈M に対して M における右双対(resp. 左双対)は同型を除いて一意的であるため、対象 x∈M に対して、その右双対および左双対を x∗ 、∗x と表すこととする。
- Example. 双対の具体例
- 体 k 上の線形空間のなす圏 Vectk は、k 上のテンソル積により対称モノイダル圏となる。
このとき、k -線形空間 X の( Vectk における)双対とは、X の k 上の双対空間 hom(X,k) のことである。
閉性
モノイダル圏 M の対象 x に対して、函手 x⊗(−):M→M ; a↦x⊗a (resp. 函手 (−)⊗x:M→M; a↦a⊗x )を、x による 左作用 (left action) (resp. 右作用 (right action) )という。
特に、M が対称であれば x⊗(−) 、(−)⊗x はそれぞれ両側作用(bi-action)という。
ここで、x による左作用(resp. 右作用)が右随伴を持つとき、x を 左閉対象 (left closed object) (resp. 右閉対象 (right closed object) )といい、その右随伴を x⇢(−) (resp. (−)⇠x )と表す。
随伴 x⊗(−)⊣x⇢(−) の余単位を evx 、単位を coevx で表し、それぞれ 評価射 (evaluation morphism) 、余評価射 (coevaluation morphism) と呼ぶ.
evx:idM⇒x⇢(x⊗(−)),coevx:x⊗(x⇢(−))⇒idM
特に、左閉かつ右閉な対象を 両側閉対象 (bi-closed object) という。
左剛対象 x の双対 y に対して、y⊗(−) は x⊗(−) の右随伴となるため、x は左閉対象でもある。
このことから、閉対象に対して 弱い双対 を考えることができる。
具体的には、左閉対象 x∈M に対して、x の 左弱双対 (left weak dual) ∗x を ∗x:=x⇢I として定義する。
また、右閉対象 x∈M に対しても同様にして 右弱双対 (right weak dual) x∗ を x∗:=I⇠x として定義する。
跡
モノイダル圏 M の 右トレース (right trace) とは、a,b,x∈M で添字付けられた射
trRx:M(a⊗x、b⊗x)→M(a、b)
の族であり、以下の公理を満たすときいう:
- Tightening: 任意の a,b,c,d,x∈M 、h:a→b 、f:b⊗x→c⊗x 、g:c→d に対して次が成り立つ:
trRx((g⊗idx)∘f∘(h⊗idx))=g∘trRx(f)∘h
- Sliding: 任意の a,b,x,y∈M 、f:a⊗x→b⊗y 、g:y→x に対して次が成り立つ:
trRx((idb⊗g)∘f)=trRy(f∘(ida⊗g))
- Vanishing: 任意の a,b,x,y∈M 、f:a⊗x⊗→b⊗x⊗y に対して次が成り立つ:
trRx⊗y(f)=trRx(trRy(f)),trRI(f)=f
- Strength: 任意の a,b,c,d,x∈M 、f:c⊗x→d⊗x 、g:x→y に対して次が成り立つ:
trRx(g⊗f)=g⊗trRx(f)
また、M の 左トレース (left trace) を Mrev における右トレースとして定義する。
- Example.
-
- 有限次元ベクトル空間の圏は跡付きモノイダルである。モノイダル構造としてのトレースは行列のトレースのわずかな一般化になっている:
trm,np((a(i,k),(j,k′))(i,k),(j,k′)∈m×p×n×p)i,j=k=1∑pa(i,k),(j,k).